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stephenjidosho

大人と子どもの狭間に

浅野いにお『ソラニン』


三十七歳でフルタイムの大学院生をやっていると、

自分が大人なのか子どもなのか分からなくなってくる。

子どもの本ばかり読んでいるとなおさらだ。


大人にはなりきれず、

夢は諦めてないけど、

追ってるとも言えない。



日本語には「社会人」という言葉があって、

それは「学生」の対義語としてしか意味を成さないのであるが、

この区別は多くの人を苦しめる。


だって、「学生」から「社会人」への壁を、

一気に飛び越えられた人以外の人は、

間に挟まったまま、戻ることも進むことも出来ないのだ。


『ソラニン』の主人公たちは、

みんなこの狭間を活きる若者たちで、

夢と友情を食べて生きている。


くだらないのか輝かしいのかもはっきりしないまま、

バンドでメジャーデビューすることだけが、

自分らしく生きる唯一の道であるかのように見える。


この夢を叶えなければ死ぬ!

とか言って。


まあ、でも現実をいうと、

人は死ぬまで死なないし、

夢はいつか覚める、もしくは冷める。


「じゃあ、何のために生きるんだろう?」

この疑問だけが残る。


その答えは簡単で、当たり前でもある。

何かの「ため」に生きるわけじゃない。

ただ、生きる。


お金のためとか、家族のためとか、

生活のためとか、世間体のためとか、

そんなものの「ため」に生きる「社会人」には、あんまりなりたくない。



『ソラニン』はここら辺がロマンチックで、

「好きな人のために頑張ろう」と決めるところが出てくるが、

結局それも無理しているだけで、長く続かない。


でも、亡くなった彼氏が「いたこと」を証明するために、

彼女が彼のバンドを再開させるところは、好き。

生きて死んだこと、意味はなかったかも知れないけど、

確実に生きていたということを、

一番好きな人に証明してほしいんじゃないかな。



私にとっては、このブログがそれになれたらいいと思う。

私の大切な人が、少しだけ管理を続けてくれたら、

死んでも、嬉しいかも。

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